論理の話

KKDって言葉がある。

勘と経験と度胸の略だ。

お仕事においてはアカンとされるのが常である。

曰く的が当たっていそうで外れている可能性があるし、外れている場合気づくことが出来ないからだそうだ。

だから、そういうのに頼るのでなしにいろんなQC手法なりを使って取り組むべきだなんて言われたりする。

特に新社会人になったとき、まとまな会社ならそのように教育される。

そして役立たずが量産される。

そういった手法で考えるということは順序を立てて考えていくということ。つまり論理を積み重ねるということだ。

だが正直な話そんなもので解決出来る問題なんてあんまりない。

そもそも論理的に考えろという人間は決まって右も左も分からない意識高い系新人か、現場を知らない上司くらいなもんなんである。

現場の人間もしくは理解している人間は、それだけでは解決できないことはよく分かっていたりする。

というのも人間が順序立てて考えられることというのは、その考える人間の中に入っている材料についてだけであり、本当に深刻な問題なり課題なんていうのは、そもそもその材料を持ち合わせていないことが大半だからだ。

パズルを組み立てようとしても、そもそもピースがすべて揃っていなかったら絶対に絵は完成しない。

そしてその材料を見つけることが出来るのは勘だったり、経験だったりするわけである。

勘や経験だけが、問題や課題の解決に必要な材料を探しあてることが出来るし、なんならその材料からストーリー(メカニズム)を組み立てることが出来るのもこの勘や経験なのである。

だから勘違いしている新人さんは、現場のベテランを邪魔しちゃいけないのである。

あえて論理が登場する場面があると言えば、それは勘と経験で構築された材料そしてストーリーやメカニズムを頭から並べていって抜けがないか、矛盾がないかを再検証するくらいなものなのである。

それで言っても、抜けがある、矛盾があるということを示せるだけで、それが何なのかを示すことはない。

そこから先はやっぱり勘や経験なのである。

 

そもそも勘や経験は何によって構築されるかと言えばそれは「動きを伴って頭脳を働かせた」ことによって構築される。

 

手や体を動かして、動かしながら考え事をすると理解度が高まるという経験は誰しもあるだろう(ないのであればそれは人生をサボっている)

・漢字を書きながら覚えると暗記しやすくなる。

・機械をいじっていると仕組みが見えてくる

・実験を繰り返していくと、科学が身に染みてくる

これらで得られる「知」というのは頭だけで考えただけでは得られないモノばかりである。

こうやって得られた知に小手先の論理や手法が太刀打ちできるはずはないのである。

 

つまり何が言いたいのかというと

悩む暇があったら、とりあえず手を動かせってことである。

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