教えたがりの話
人に教えたがる人って結構いる。
というか私も教えたがりだし。
内容によっちゃありがたいこともあったりするが、時には迷惑だったりもする。
なんで教えたがるのだろうと考えてみる。
教えるという関係は「知っている人」と「知らない人」が揃うことで成立する。
関係性が成立するパターンは主に2つ
・知らない人が教えを乞う時
・知っている人が教えに来るとき
前者はいいとして問題は後者。
これは更に
「本当に教える必要があるとき」
「特に必要ではないが教えたいなと思ったとき」
の2つに分かれると思う。この境界線は結構あいまいだが、
「本当に教える必要があるとき」というのは、「教えられる内容」を「知らない側」が知っていないと明確な不利益が「知っている側」に発生する場合が該当するように思う。
具体例としては職場の新人が設備の動かし方を知らないのに設備を見様見真似で稼働させようとして会社全体に不利益を被る場合。
この場合
知らない側:新人
知っている側:会社もしくは教育担当者
になる。つまりこの場合教える動機は教える側に不利益が発生するシチュエーションためということになる。
このように消去して考えていくと、「知っている側に不利益が発生しないのに、教えたがっている」という状況が教えたがりというか、いらぬお節介さんということになる。
注意が必要なのはあくまで知っている側に「不利益が生じないこと」であって「利益が生じること」ではないという点。
一見同義のようにも見えるが、「知っている側に利益が生じること」が動機ということは、「俺が得するためにあなたに教える」であって響きとしてはこれ、詐欺や宗教勧誘と同じ類である。
たまたま、前もってあなたが知りたがっていたことであるなら得したかなくらいに思っていればいいが、もし有益か無益(有害?)の判断がつかない場合は、この教える側は「不利益を被らないか」「利益を得るのか」を判断基準にしたら詐欺とかを見破れたりするのかもしれない。
特に根拠はないがそんなことを考えてみたというお話です。