過去に戻ったとして
たまに職場とかで「昔英語勉強しとけばよかった」とか「今学生に戻るならもっと勉強する」なんて話を聞いてしまうことがあるが、そういうとき今からやればいいじゃんと心の中で思う。
決して声には出さないが。
学生に戻ったら勉強するかと言ったら、そんなことを言う人は絶対に勉強はしない。
なぜかというと、「過去に戻ったら勉強する」ということは、過去の自分、つまりは他人に勉強をさせて今の自分はその成果だけ享受するという、せこい心の表れに他ならないからだ。
そもそも学生の頃なら勉強が出来るのに、今勉強が出来ないという理由が分からない。
仕事で帰りが遅いから?
休日は休みたいから?
家族サービスで忙しいから?
忙しいという理由は確かにあるかもしれないが、本当にやる気があれば隙間時間でいくらでも勉強ができるだろうし、仕事の一環だといって時間を作ることに家族の理解が得られないとは思えない。
また、年をとって脳みそが劣化したなんて言い訳をする人もいるだろう。
確かに記憶力は落ちているなという自覚は私にもある。
だが理解力が落ちたとは思えない。いや若いころよりも本質を理解する力は上がっていると思っている。
若い頃より経験値を重ねているために、「こうやったら理解できる」「あのパターンにあてはめたらいい」という引き出しが圧倒的に増えている。
記憶力を失う代わりに経験値が増えていったわけだ。
そして勉強する上に置いて記憶力と経験値に基づく理解力のいずれが大事かと言えば、それは後者である。
別に社会人になっての勉強というのは、テストで良い点を取るためのものではなく、道具として扱えれるようになるためにするものだ。
英語、プログラム、科学知識、論理学その他諸々
点を取るためではなく道具として役立てるために勉強し習得する。
道具として使えればいいんだから正直な話、理解さえして入ればカンニングはありなのである。
多少忘れてしまっても、ネットなり、昔勉強した書籍をまた開いて調べれば事が済む。
中途半端な習得状況でも道具として使うことで理解は更に深まる。
学生のように机にかじりついて勉強するより、今このときに道具として使いながら勉強するほうがよっぽど理解できるというものである。
ただ逆に言えば、道具として使う予定がないものを勉強するとなるとかなり難しい。
特に英語をしゃべる機会はないけど、なんか恰好がいいからという理由で始めたら多分いつまでたっても習得は無理だ。
日本人が英語が下手な理由は多分これだと、私は思っている。
社会人は確かに忙しいんだから勉強する内容は厳選すべきだ。
実際に使う予定がある知識、もしくは明確に目標が立っている内容に関して時間を費やすべきである。
過去に戻って英語を勉強するという発言は、この目標なき英語力へのあこがれというものを端的に表している。
そんなものに時間を費やすのは時間の無駄だ。命を無駄にしているのと同義である。
だからまずは、自分の仕事に役に立ちそうな事を探すところから始めよう。
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