宗教学について

私は今「キリスト教の歴史」を読んでいる。

キリスト教の歴史 (講談社学術文庫) [ 小田垣雅也 ]

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感想(1件)

別に信仰心があるわけではない。悪いことをしたら罰が当たるかもって感じがする程度である。ただ宗教というものに対してはけっこうな関心がある。

昔は全く関心はなかった。神様なんかいるわけないじゃん、こんなもの信じるなんて信じらんないよと調べる気にもならなかった。

ただ、西洋の古典文学を読んでいるといたるところにキリスト教やギリシャ神話が出てくる。特にドストエフスキーはキリスト教がかなり重要で、それを抜きにして読んでいるとどう考えても「知っていないと楽しめないだろ」という考えが沸々湧いてくる。

そんな中もう5,6年前くらいか小室直樹の「宗教原論」を手に取ったのがそもそも始まり。

 

日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか/小室直樹【2500円以上送料無料】

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感想(0件)

この本はキリスト教、仏教、イスラム教をメインで取り上げそれぞれの特徴を紹介している。かなり面白く、かつて用もなく電車で旅をするときの暇つぶし用で購入したのだが行きの電車で読み切ってしまった。

今後読み返して紹介してみようと思うがここで完全に宗教に対するイメージが変わった。

宗教とはかなり論理的な代物なのだ。

契約というものは元々神と人間の間で結ぶもの、つまり宗教(ユダヤ教)から端を発している。

仏教はこの世の苦しみはそもそも何かにこだわることから生じるが、そもそも車をばらした場合それぞれの部品をどれを指しても車の本質は見当たらない(タイヤ、シャフト、ハンドル、ボンネットいずれも車を構成しているが、どの部品を指しても車とは言わない。車という本質は存在しない)のと同様にこの世にはこだわるべきものはない、すべて幻と悟ると苦しみから解放されると言っている。

イスラム教では、イスラム教徒がするべき事柄や禁止事項がコーランその他聖典にすべて書いてある。書いていないことは特に制限がないので何してもOKである。するべき、禁止すべきとする理由は神様の命令だからである。

このように、現代社会に通じる教えやルール明確化など極めて整然としている。日本のような曖昧が外人から感じられないのもこのような宗教文化が背景にあるからだろうことは明白である。

「外人を知るためには宗教を知らなければならない」というのは上記のためである。

今読んでいるキリスト教の歴史はユダヤ教から現代にいたるまでキリスト教の変遷をどのような背景で起こったか、どのような理由で起こったかが割と分かりやすく書いてある(それでも結構難しい)。この本を読めば、西洋文学の理解がはるかに深くなる。はずである。まだ最中なので確信は持てないが。

少なくとも図解つきの易しいキリスト教の歴史本よりかはかなり内容が濃い。図解の解説書なんかはぱっと見は分かりやすいが、その実起こったとされる出来事をただ載せているだけでそこには考察が一切ない。それだけではただの高校までの歴史の教科書だけで暗記にしかならない。

歴史本は著者の考察が入ることで初めて息づくようだ。

出来事に考察が入ることで、その時、その人物がどのように考えたかがイメージしやすくなるし、著者と読者で脳内議論も出来る。歴史に対する自分なりの考察も持てるようになる。

 

こう考えると歴史の教科書というのはダメなんだね。そもそもバイアスのない歴史なんてありえない。教科書を作った人も一般論を引っ張ってきたんだろうけどそれも誰かの考察が元になっている。逆に考察や私見があるのに、それが無いように記載することの方が洗脳につながって悪影響を及ぼすし、歴史という学問がただの暗記に堕してしまっている温床につながっていると思う。

 

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