明るい馬鹿と陰気なガリ勉について
学生時代、周りのなじめず、一所懸命勉強してお前らよりいい人生を送ってやると頑張ったのに、就活の面接で悉く落とされ、見返したかったあいつらの方が良い就職先にありついてしまう。
というようなことは、良くある話である。
実際のところ陰気なガリ勉より、明るい馬鹿の方が面接では受かりやすいような気がする。
落とされるガリ勉としては納得がいかないだろうが、実際社会人として生きてみると一緒に仕事をしたいのは明るい馬鹿の方だったりする。
面接する側だって馬鹿ではない。ただ単になんかコイツ好きだなで明るい馬鹿を選んだりはしていないはずだ。
そもそも仕事というのは結局段取りがものをいう。目的、目標を決めて、計画を立てて、チームのみんなとプランを共有して、スケジュール通りにこなしたり、こなせなかったり、こなせなかったら原因を探って対策したりして目的の達成までひた走る。
私は文化祭の準備がちゃんと進めれた人ほど、仕事が出来る人間という持論を持っている。
文化祭では、各クラスが自分たちの出し物を文化祭当日までにチームで作り上げる。
リーダーは全員の担当を決めて、決められた日付までに仕事が進んでいるかを管理しないといけないし、調達担当は準備に必要な材料および当日消耗する材料を不足なく調達する必要があるし、工作の担当は与えられた材料を期日までに仕上げる必要があるし、広告担当は当日までに学校内外に効果的に宣伝する必要がある。
端的ではあるが、文化祭の遂行というのは実は仕事に必要な要素が多く詰まっている。
さて、それでは陰気なガリ勉に文化祭の準備が可能であるか。
まず無理である。
文化祭の準備には人との接点が無数に生じる。
全員の意見をとても聞いてはいられないので、いくども折衷案を立てる機会が生じる。
その中では理屈も大事だが、それだけではダメで、相手に不快感を与えないように伝えたりとか、頑として受け入れらないと態度を明確にしたりとか状況によってコミュニケーションを変える必要がある。
そういった能力が仕事をする上では必要であるのに、普段から人を避けているような人がそのようなコミュニーケーションを十全に取れるわけがないのである。
そもそも、勉強によって身につく知識なんて、業務に必要なスキルの一つにしか過ぎなかったりする。
よく、資格で就職を有利にしたいなんてことも耳にしたりするが、そんなもん就職してから取っても全然遅くないし、資格を持っていても関連する業務に使ったことがないなら実は持っていないのと大して変わらない。
Aというスキルに関して、資格を持っている素人と関連業務に従事した未資格者の社員なら未資格者の社員の方がAというスキルに対しての理解度ははるかに高い。
なぜなら、業務遂行の上での悲喜こもごもを体に刻み込んでいるからだ。
頭だけでなく、感情と体で成功と失敗を繰り返しながら理解した事柄というものは、まず忘れたりはしないし、いろんなケースに出くわしても過去の引き出しとしてすぐに応対できる。
ただの座学よりも、実験室で実験した方が理解度が高いし、頭でっかちな技術者よりも現場の作業者の経験の方が実際のモノづくりに対して有用である。
大分話が逸れてきた気もするが、明るい馬鹿というのはコミュニケーションという実学を学生時代にこなしてきている可能性が高く、その能力は即実社会でも通用しうるが、陰気なガリ勉は椅子に座って問題を解いてきただけで、実社会で通用する能力を持っていない可能性が高いのだ。
こんなことを一々挙げるまでもなく働いたことがある人なら、いずれが一緒に仕事がしやすいかなんて自明であろう。
追伸:私は文化祭の準備にうまく加われなかった口です。