随筆ブーム来いッ!
最近はよく随筆を読んでいます。
理由は楽だからです。
小説のようにすじを覚えながら読む必要もないし、論説ほど形式ばっていない。
現代人のようにインスタントに活字を読みたい人にほどおすすめである。
ただ出来れば、現代の所謂エッセーよりかは昔の随筆の方が面白いんじゃないかなと勝ってに思っている。
ろくに現代のエッセーを読んだことはないので、どうにも権威主義的なひけらかし感があるんじゃなかろうかと自分でも思うのだが、やっぱり文豪の書いた随筆は面白い。
その人にしか書けない特色がありありと出ている。
幸田露伴はものによっては文語体のものもあるのでとっつきにくい時もあるが、「骨董」や「幻談」なんかは口語体で読みやすいし、知らなかったトリビアが嫌味なく描かれている。「幻談」なんて釣り船であった怪奇現象的な話のはずなのに、当時の釣り事情とか釣り竿に適した竹の話とかの話が大半なんだよ?
寺田寅彦は理系な考え事系か写実系の二つが多い。前者は通勤電車の順番まちを効率進めるための考察みたいなので、後者は丸善に本を買いに行ってどねえのこねえのみたいな話。両方とも気楽に読めるが、なんだかとても清々しく、私は遠出するときは彼の随筆集か、漱石の草枕をもって電車で読みながら寝落ちするのがとても好きである。
正岡子規は最近病床六尺を読んだのだが、病人のくせに妙に力強い文を書く。飯をたらふく食うし、人の評価した俳句にやたらケチをつけたり妙に生々しいというか人間らしい感じの文章が多い。
魯山人はもう魯山人って感じの文である。最初期の海原雄山を地でいっている。ただ彼の食や芸術への真剣さ、ひたむきさは、といっても嫌味はなく、ただただ本心で言っているんだろうなと感じさせて、人間として付き合うのは御免こうむるが、文章として読む分にはとても面白いし、その分野に対して興味を掻き立てられる。
いい随筆というのは、以上のようにその人の人となりやそれまでの知識がまるで滲み出ているような感じを受ける。
人として面白味がないときっと随筆も面白くはない。
昔の文豪や芸術家はガチで社会不適合者だったりするので、随筆も面白い。
それで言ったら現代の八方美人な人間や、わざと傾いた人間なんかが書いた随筆が面白いのだろうかと思ってしまう。勝手に。
タイミングが合えば現代のエッセーも手に取ってみて、気が向いたらまたここに感想を書いてみようと思う。
考え変わるかもしれないし。